2018.07.20 01:06第四十九番札所 金剛山 光明寺 最勝院(さいしょういん)◎御詠歌 ありがたや 八十八の みのりいせきを おがむ心は だいなるらん ありがたや はちじゅうはちの みのりいせきを おがむこころは だいなるらん【宗派】 真言宗智山派【御本尊】 金剛界大日如来【真言】 おん あびらうんけん ばざら だどばん【略縁起】最勝院は具には金剛山光明寺最勝院と号す。この名称の起源は、『金光明最勝王経』という仏教教典に由来し、五穀豊穣、国家安泰等の深い願いが込められている。総本山は京都市東山の智積院、宗派は真言宗智山派の密教寺院である。本尊は金剛界大日如来、秘仏として五智如来、猫突不動明王、文殊菩薩、聖徳太子、牛頭天王、歓喜天(聖天)、 青面金剛、如意輪観世音菩薩等を祀る。天文元年(一五三二)に高僧弘信上人が、堀越城外萩野の地に三宇の伽藍を造営し開基した。慶長十四年(一六〇九)二代津軽藩主信枚が高岡の新城(現在の弘前城)を築いた折、当院第六世日雄が地鎮の法式を執行し、慶長十六年(一六一一)新城の鬼門に当たる田町へ移転し弘前八幡宮別当となり、そこに十二ヶ寺の塔頭寺院を擁していた。また、津軽藩永世祈願所に定められ、寺禄三百石を賜り、手厚い保護を受けた。幕府からの預人慶光院と、江戸寛永寺開山の天海は、相談の上寛永三年(一六二六)に京都五山、鎌倉五山にならって当地における津軽真言五山の制度を定めたと伝えられる。最勝院(田町現在銅屋町)、百澤寺(岩木町百沢の現在岩木山神社)、国上寺(碇ヶ関村古懸)、橋雲寺(岩木町植田)、久渡寺(旧小沢村現在坂元)がそれである。当院はその筆頭に位置し、領内総寺社を統轄する僧録に定められ、更には修験、座頭、巫女等を支配し、社人頭を通じて領内の社人をも支配した。当院には、領内壱千百三十三社の明細を記した重要文化財『神社微細社司由緒調書上帳』が現存し、当時の権勢の程を窺わせる。明治三年(一八七〇)神仏分離令により支配下の多くの寺院を合併して田町より当地へ移転した。その頃まで当地には、大圓寺という真言宗の寺院があったが、その大圓寺は大鰐町蔵館の高伯寺と合併しそこへ寺格を移転した。当院は五重塔や本堂、諸堂、境内地など旧大圓寺の総てを受け継ぎ、寺院としての発展の中で境内整備を為し現在に至っている。最勝院の境内では、弘前市教育委員会の発掘調査により縄文時代後期の土器類や住居跡が多数出土している。これにより往古よりこの地に人が住み、また信仰の為の霊地として崇拝を受けていたと考えられる。正面の仁王門の金剛力士像は岩木山旧百澤寺の山門に安置されていたものと伝えられる。また、現在の当院護摩堂は旧大圓寺の本堂であり、明和九年(一七七二)に奉納された本尊牛頭天王尊がそのままに、に奉安されており、旧暦六月十三日はこの牛頭天王尊のご縁日(例大祭)として善男善女が多数参拝し、大変なにぎわいが藩政時代より連綿と続けられている。また、最勝院の文殊菩薩は古くから卯年生まれ一代様として親しまれてきた。学業に御利益があるとされるため、近年においては修学旅行生も多く立ち寄り、受験合格を祈念しお守りを求めてゆく。弘前近郷においては宗派を問わずに多くの人々より信仰を受け、正月の元朝祈願参拝者数は、弘前市最大の規模となっている。※公式HPより転載・東北三十六不動尊霊場 第十五番札所・津軽弘法大師霊場 第一番札所・北国八十八ヵ所霊場 第五十九番札所・津軽一代様 卯年生守本尊(文殊菩薩) 【電話】 0172-34-1123【アクセス】 〒036-8196 青森県弘前市銅屋町63【公式HP】 http://www15.plala.or.jp/SAISYOU/【御住職】 第三十八世 公彰和尚【田中チヨ尼奉納御砂】 不明津軽八十八ヶ所霊場推進会人に触れる 歴史に触れる 根源に触れる 津軽のこころの故郷を巡る旅フォロー2018.07.20 01:29第五十番札所 太平山 長勝寺(ちょうしょうじ)2018.07.20 00:53第四十八番札所 那智山 袋宮寺(たいぐうじ)0コメント1000 / 1000投稿
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